好きなことをいろいろと
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母なる河、ガンガーで沐浴すればすべての罪は洗いきよめられ、遺灰を流せば輪廻から解脱できるといわれている。モンスーンの雨で水かさが増して、流れははやく、風はつめたかった。ものすごい数のひと。牛とやぎ。物乞いの視線と手。それをこわいと思ってしまうこと。ちいさなこども。貧困とイノセント。かわいそうとか不憫だとか思うものさしはいらなくて、だからといってほかに役に立ちそうなものも持っておらず、ヒンズーの文化と言い切ることもできず、ほんとうにこんなにわからないことなんてほかにはないんじゃないかと思うくらいわからなかった。ことばも見つからない。
インドのひとびとは、一概には言えないかもしれないけれどすくなくとも、わたしによくしてくれたり、話しかけてくれたり、すれちがったり、寝台列車の同室に乗り合わせたりしたひとたちは、親切でやさしく、笑顔がほんとうにほんとうにほんとうに愛らしかった。なんて表現してよいのかわからないけど、愛らしい、が近いと思う。
これは、帰りの、雷でなかなか地上に下りられなかった飛行機の(いろいろあって成田から大阪まで国内線に乗ったのでした)中で考えたことなんだけど、日本のサービス水準はすばらしく、フライトアテンダントは美しく、こまやかな気配りと思いやりにあふれ、雷だろうと大雨だろうとたしかに快適なフライトを提供してくれました。それは日本のよいところだと思うし、誇らしいところだとも思う。お手本のような心配り。その完璧さ。でもそのことへの反発心がなんとなくあるような気がする。わたしの気持ちのなかに。
ゆきとどいたサービス。きちんと列にならぶ秩序。日本の教育水準の高さゆえかもしれない。ちいさいころから、小学校でも中学校でも高校でもたぶん大学でも、道徳を学び思いやりを学び助け合うことを学びやさしさ学んできた。でもその長い時間をかけて学んだことをたいして使えていない気がしてしまう。ひとにやさしくできているなんて到底言いきれない。マニュアルどおりのやさしさでなく、教科書に書いてあったような道徳でなく、もっと透明で力強い何かを、インドではたしかに見たような気がするのに。牛の糞や噛みたばこのにおいのしない清潔な日本の空港がもちろん、悪いわけじゃないけど。
インドで義務教育が開始されたのは最近のことで、義務だからといってこどもがみんな学校へ行けるわけではなく、物乞いをして、はたらいて、暮らしていることはぜんぜんめずらしくなくて、ガンジス川のほとりで観光客つかまえてあれこれお土産物を売っていた少年は(なんかいも名前を教えてくれたけど発音が難解で、若干ちがってるかも。マーブーと言っていた。でももっといろんな音の組み合わさった発音だった)ハンサムアンドスマートに道案内をしてくれたし、牛からかばってくれたし、物乞いの女の子はかわいい踊りを見せてくれたりもして、それは生きる術であったし、でも無邪気さでもあって、それがイノセントじゃないなんてわたしは思わないし言えもしない。つまり、1ルピー札をおりたたんでその(何かの)代金をはらうために身構えているしかなかったわたしと彼らとでは、きっと彼らのほうが透明なこころで生きているのだと思った。それがよいかわるいかということでなく。生きるための強さ。彼らは生命力にあふれ、たくましく、笑顔は愛らしく、親切だった。長年かけて悪くない教育水準のもと教えられて学んだわたしのやさしさも思いやりも、あの喧騒の中ではたいして役には立たなかった。
じぶんの目で見たことが土壌になり、やさしさを育むのかもしれない。ひとから受け取る物も多くあると思う。慈しみややさしさを育む栄養になるようなものを、たしかにたくさんもらってきたと思う。わたしはわたしの学んできたことを価値のないことにはできない。
ここまで書いて何が言いたいのか絡まりすぎてぐちゃぐちゃになってしまったけど、出口がないからこの混乱のままに記録しておこうと思います。うろうろと考え、記憶にしまいこみ、またひっぱりだしてきて、恥ずかしく思わないわけじゃないし、こんなきれいっぽい言いかたでまとめてしまうことも違う気がしてるけど。
結局のところ、たったの一週間ではうわべすらも知りえなかった。インドは広大で謎にみちていて神秘的で危険で愛らしくて美しかった。くさかったし熱かったし暑かったし汚かったしたいへんだったし列車は三時間も平気でこないし無秩序で混沌としていた。でも好きだ。
うわべだけでもじゅうぶんすぎるほど。受け止めきれない。だけど悟りをひらくための旅行ではないので、旅行者らしく大いに楽しんだ。カレーを食べ、サリーを着て、きらきらの靴を買って、靴屋さんでかわいいかわいいと叫び、お店のひとに苦笑いされた(そしてまた来るよう名刺ももらった)時間はすくなすぎて、考えることはありすぎて、だから次はもっと長い期間、滞在したいと思います。ヨガの修行でもしながら、しばらく暮らしてみるのもいいかもしれない。この次にインドに来られるときまでには、わたしの土壌をもっと豊かなものにしておきたい。
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