好きなことをいろいろと
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
夏の旅行のことなのに、もうすぐ冬になってしまう! じゅうぶん時間あったはずなのにいったい何をぼんやりしていたんだろう。続きます、インディアンサマーメモリー。
ヴィシュヌ神をまつるラクシュミーナラヤン寺院のまわりには、おみやげものの屋台やお供えの花を売る露店がたくさんならんでいる。
寺院の中はばらのいい匂いがして、うっとりと神聖な気持ちになった。ああ、これがインドなのね! いそいそと靴を脱いで、花びらの落ちてる白い石の階段をのぼり、いざ初めてのおまいりへ。
ヒンドゥー教の最高神、シヴァ神や、運の神様でぞうの顔をしたガネーシャ、猿の顔のハヌマーン。神様たちはお花と宝石と金で飾られて、かわいくてカラフルだった。
おまいりをしたしるしに、おでこに朱色の粉をつけてもらう。うれしい。
写真は禁止だったので、かわいい神様たちをまばたきで切り撮ったつもりになって、寺院を出た。
観光バスを待つ間、ぼんやり道端に立っていると学生服の女の子がわたしに近づいてきてどきどきしていたら、きれいな帽子ね! と言ってくれた。うれしかったのでこの日はずっとかぶってた。陽射しの強いインドでは、大きなリボンのついた麦わら帽子はたいへん役に立った。
次はインド門へ。第一次世界大戦で戦死したインド兵のために建てられた慰霊碑だそう。日本でいう終戦記念日はインドの独立記念日。
ヘナで手に絵を描いてあげると声をかけられる。こまかいお金を持っていなくて、断ってしまったことを旅のあいだじゅう後悔していた。十歳かそれくらいの女の子で、ほんとうにかわいかった。あの黒い大きな目を忘れられない。恋に落ちたのかもしれない。
どこへ行っても物売りと物乞いに声をかけられて、不慣れだからか、すこし疲れる。わかっていても心は痛むし、苦しくなる。だからといって、この国の宗教や風習に意見する立場じゃない。わたしは旅行者で、お客様で、よそものだった。でもそれは、わるいことでも、かなしむことでもない。ただの事実で、パスポートに書いてあるとおりのこと。
ほんとうに、どこへ行っても、たくさん手をさし出される。芸を見せてお金をもらう子供や、ちいさな手に品物をのせて買って買ってと言う子供。太鼓の音にあわせてそくてんしたり、くるくるまわったりする、五つくらいのちいさな女の子もいた。
レストランでは、トイレの電気をつけてくれたり、手を拭く紙をくれたりするひともいる。タイミングが合えば、すこし渡すこともあったけど、なかなか自然にはできない。10ルピー札をちいさくたたんで、今か今かと構えてしまう自分がいやだった。
バクシーシ。施しとはちょっと違う。喜んで捨てる、と書いて、喜捨。バクシーシ。
どうすることが、いちばんよいのか。考えて、考えて、考えたけど、正しい答えがわからない。よい、ということがぐらぐらして、自どうしても信が持てなかった。何を幸福とするか、よろこびとするか、よいこととするか、正しいおこないとするか。いつも暮らしているところではわかったふうな顔をしてるくせに。
考えたってわからないことは、グッド・カルマのために、で済ますことにする。旅が終わってもわからないままだったら、おみやげにして持って帰ってしまえばいい。
よりよくうまれかわるために。来世のために。幸運のために。ぜんぶ信じてるわけじゃないけど、せっかく神様のいっぱいいる国にいるのだから、よくよく幸運を願っておく。
リクシャー(自転車タイプの人力車)に乗せてもらってオールドデリーを見てまわった。
せまい路地、絡まるようにたくさん干してある色とりどりの洗濯物、ひしめき合って暮らす人々、喧騒、クラクション、牛の糞。粘土を焼いてつくった煉瓦を積み重ねただけのような街並みと、色鮮やかなサリー。まばたきを忘れてしまう。
お昼はカレー! バターチキンカレーとマトンカレー、ほうれんそうカレー!
タンドリーチキンにミントのソースをかけて食べたのがおいしかった。
ナンもたまねぎのピクルスもおいしかった。もちろんカレーもおいしかった。
アチャ! アチャ! アチャ!(すてき、とか、おいしい、とか、いいね、というような意味)食べているときもうるさいわたし。
日本でインド料理店に通い、友達までつき合わせてでさんざん練習した成果を発揮して、わたしの右手はほとんどパーフェクトなインド仕様。すばらしくスプーンとフォークの役割を果たしてくれた。でも、ごはんは想像していた以上にぱさぱさ、ぱらぱらで、早々にあきらめ、ほんもののスプーンを使った。
ほんとうにほんとうにおいしい。さすがは魅惑のインド。スパイスの魔法にかかってしまった。
ヴィシュヌ神をまつるラクシュミーナラヤン寺院のまわりには、おみやげものの屋台やお供えの花を売る露店がたくさんならんでいる。
寺院の中はばらのいい匂いがして、うっとりと神聖な気持ちになった。ああ、これがインドなのね! いそいそと靴を脱いで、花びらの落ちてる白い石の階段をのぼり、いざ初めてのおまいりへ。
ヒンドゥー教の最高神、シヴァ神や、運の神様でぞうの顔をしたガネーシャ、猿の顔のハヌマーン。神様たちはお花と宝石と金で飾られて、かわいくてカラフルだった。
おまいりをしたしるしに、おでこに朱色の粉をつけてもらう。うれしい。
写真は禁止だったので、かわいい神様たちをまばたきで切り撮ったつもりになって、寺院を出た。
観光バスを待つ間、ぼんやり道端に立っていると学生服の女の子がわたしに近づいてきてどきどきしていたら、きれいな帽子ね! と言ってくれた。うれしかったのでこの日はずっとかぶってた。陽射しの強いインドでは、大きなリボンのついた麦わら帽子はたいへん役に立った。
次はインド門へ。第一次世界大戦で戦死したインド兵のために建てられた慰霊碑だそう。日本でいう終戦記念日はインドの独立記念日。
ヘナで手に絵を描いてあげると声をかけられる。こまかいお金を持っていなくて、断ってしまったことを旅のあいだじゅう後悔していた。十歳かそれくらいの女の子で、ほんとうにかわいかった。あの黒い大きな目を忘れられない。恋に落ちたのかもしれない。
どこへ行っても物売りと物乞いに声をかけられて、不慣れだからか、すこし疲れる。わかっていても心は痛むし、苦しくなる。だからといって、この国の宗教や風習に意見する立場じゃない。わたしは旅行者で、お客様で、よそものだった。でもそれは、わるいことでも、かなしむことでもない。ただの事実で、パスポートに書いてあるとおりのこと。
ほんとうに、どこへ行っても、たくさん手をさし出される。芸を見せてお金をもらう子供や、ちいさな手に品物をのせて買って買ってと言う子供。太鼓の音にあわせてそくてんしたり、くるくるまわったりする、五つくらいのちいさな女の子もいた。
レストランでは、トイレの電気をつけてくれたり、手を拭く紙をくれたりするひともいる。タイミングが合えば、すこし渡すこともあったけど、なかなか自然にはできない。10ルピー札をちいさくたたんで、今か今かと構えてしまう自分がいやだった。
バクシーシ。施しとはちょっと違う。喜んで捨てる、と書いて、喜捨。バクシーシ。
どうすることが、いちばんよいのか。考えて、考えて、考えたけど、正しい答えがわからない。よい、ということがぐらぐらして、自どうしても信が持てなかった。何を幸福とするか、よろこびとするか、よいこととするか、正しいおこないとするか。いつも暮らしているところではわかったふうな顔をしてるくせに。
考えたってわからないことは、グッド・カルマのために、で済ますことにする。旅が終わってもわからないままだったら、おみやげにして持って帰ってしまえばいい。
よりよくうまれかわるために。来世のために。幸運のために。ぜんぶ信じてるわけじゃないけど、せっかく神様のいっぱいいる国にいるのだから、よくよく幸運を願っておく。
リクシャー(自転車タイプの人力車)に乗せてもらってオールドデリーを見てまわった。
せまい路地、絡まるようにたくさん干してある色とりどりの洗濯物、ひしめき合って暮らす人々、喧騒、クラクション、牛の糞。粘土を焼いてつくった煉瓦を積み重ねただけのような街並みと、色鮮やかなサリー。まばたきを忘れてしまう。
お昼はカレー! バターチキンカレーとマトンカレー、ほうれんそうカレー!
タンドリーチキンにミントのソースをかけて食べたのがおいしかった。
ナンもたまねぎのピクルスもおいしかった。もちろんカレーもおいしかった。
アチャ! アチャ! アチャ!(すてき、とか、おいしい、とか、いいね、というような意味)食べているときもうるさいわたし。
日本でインド料理店に通い、友達までつき合わせてでさんざん練習した成果を発揮して、わたしの右手はほとんどパーフェクトなインド仕様。すばらしくスプーンとフォークの役割を果たしてくれた。でも、ごはんは想像していた以上にぱさぱさ、ぱらぱらで、早々にあきらめ、ほんもののスプーンを使った。
ほんとうにほんとうにおいしい。さすがは魅惑のインド。スパイスの魔法にかかってしまった。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
プロフィール
HN:
ゆりこ
性別:
非公開
ブログ内検索
P R